ギリシア建築
ギリシア建築は、古代ギリシア人によって創造された建築様式です。特に神殿建築は代表的であり、古典主義建築の直接的、間接的規範とされ続けました。
ギリシア建築は紀元前7世紀頃から様式の創造が開始されはじめ、紀元前5世紀から紀元前4世紀頃にその頂点を迎えますが、空間よりも細部の装飾や比例原理を洗練させて自己完結していく傾向にあり、現代の美術的な感覚からすれば、建築よりもむしろ彫刻に近いです。
その後のヘレニズム時代には建築の形態が再編成され、建物の関係性が意識されるようになり、やがてこれらがローマ建築に継承されました。
古典主義建築の源泉でありながら、ヨーロッパでは18世紀に至るまで忘れ去られていた建築でしたが、
新古典主義運動において建築の起原であると考えられるようになり、ギリシア建築の復興運動を巻き起こしました。
19世紀に建築起原論は解体されてしまいましたが、古典の象徴という概念は現代においてもなお続いています。
ゴシック建築
ゴシック建築は、12世紀後半から花開いたフランスを発祥とする建築様式です。最も初期の建築は、パリ近くのサン=ドニ大修道院教会堂の一部に現存します。
イギリス、北部および中部イタリア、ドイツのライン川流域にわたる広範囲に伝播しました。
「ゴシック」という呼称は、もともと蔑称です。E5世紀から16世紀にかけて、アントニオ・フィラレーテやジョルジョ・ヴァザーリらが、ルネサンス前の中世の芸術を粗野で野蛮なものとみなすために「ドイツの」あるいは「ゴート風の」と呼んだことに由来します。
ルネサンス以降、ゴシック建築は顧みられなくなっていましたが、その伝統は生き続け、18世紀になると、主として構造力学的観点から、合理的な構造であるとする再評価が始まりました。
18世紀から19世紀のゴシック・リヴァイヴァルの際には、、ゲーテ、フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン、フリードリヒ・シュレーゲルらによって、内部空間はヨーロッパの黒い森のイメージに例えられて賞賛され、当時のドイツ、フランス、イギリスでそれぞれが自らの民族的様式とする主張が挙がるなどしました。
ビザンティン建築
ビザンティン建築は、東ローマ帝国の勢力下で興った建築です。4世紀頃には帝国の特恵宗教であるキリスト教の儀礼空間を形成し、そのそのいくつかは大幅な補修を受けているものの今日においても正教会の聖堂、あるいはイスラム教のモスクとして利用されています。日本では、ビザンツ建築と呼ばれる場合もあります。
ローマ建築円熟期の優れた工学・技術を継承し、早い段階で技術的成熟に達しますが、隆盛による影響はあるものの、発展することも急速に衰退することもなく存続しました。
東ローマ帝国の勢力圏のみならずキリスト教の布教活動とともに、ブルガリアやユーゴスラヴィア、ロシアといった東欧諸国あるいはアルメニアやグルジアなど西アジアにも浸透していきました。
その影響力は緩やかなもので、地域の工法・技術と融合しながら独自の様式を発展させました。また、初期のイスラーム建築にも影響を与えています。
ネオ・ビザンティン建築
ネオ・ビザンティン建築は、19世紀中葉から20世紀初頭に発展した建築様式のひとつです。
宗教施設や公共施設などによく見られます。ネオ・ビザンティン建築様式は、5世紀から11世紀にかけての東方教会や東方正教会によく見られるビザンティン建築様式の流れをくんでいます。
帝政ロシアでコンスタンチン・トーンが新古典主義建築にロシアの信仰復興運動を合わせてネオ・ビザンティン建築を世間に広めたこともあり、ロシアや東ヨーロッパで発達しました。ソフィアのアレクサンドル・ネフスキー大聖堂は特に有名です。
ネオ・ビザンティン建築様式の特徴として、円形のアーチ、ヴォールト、ドームや、煉瓦や石目塗りのしっくいの外壁、象徴的な外装、モザイク装飾があげられます。
アメリカでは、テキサス州のライス大学のキャンパス内にある建物などがネオ・ビザンティン建築様式として有名です。
1850年頃から1880年頃、イギリスのブリストルではブリストル・ビザンティンという建築様式が有名でした。